自分が今、余命半年と言われたら・・・。そんなことを時々考えます。
半年だったら、初めの3ヶ月はまだ動けるかな?とか、仕事をとるか、家族との時間をとるか・・・とか。
さらに、葬儀をどうするか?
絶対来て欲しい人、死の告知はして欲しいけれど、それだけでいい人、家族葬で密かに世の中から消えて行くのがいいのか、やはりそれは寂しすぎるんじゃないか・・・とか。
そんなシミュレーションをしていると、
これまでの人生を振り返っていることと気づきます。
自分の死や葬儀を考えることは、生きてきた道程を手繰ることになるのです。
「わたしの葬儀」のために、生きてきた道程を手繰ることは、やがて必ずやってくる死の瞬間までの生き方に変化をもたらすのではないでしょうか。なぜなら人は誰でも「もっとこうしていれば良かった」「あのとき、あんなことを言わなければ良かった」といった小さな後悔や反省の種を心の片隅に持っているものだからです。
そして、葬儀を実際に執り行うその日まで、どれだけ時間があるのかは誰にもわからないのですが、わからないからこそ「今日からできることをしよう」と思うのではないでしょうか。決意さえあれば、人は、後悔や反省の種の数だけ生き直すことができるのです。
・私らしい葬儀、生前葬という選択
個性を活かし、思いを大切にする「わたしの葬儀」を考えることが、生き方を考えることにつながる。このことからわたしたちは、「わたしの葬儀」をさらに発展させた儀式があるのではないかと考えました。その結果、たどりついたのは「生前葬」という儀式です。
「生前葬」とは、生きている間に家族や親戚をはじめ、親しい人を招き、今、生きていることを共に喜び合い、儀式に参加することで掛け替えのない新しい思い出を創り出す儀式です。儀式の主人公は、まだ生きているあなた。もしくは、生きている誰かです。
・生前葬の可能性
「わたしの葬儀」を発展させてたどりついたもの。それが「生前葬」
「人生の節目をつくりたい」「長寿のお祝いをしたい」など、生前葬は、より良く生きるための節目となる儀式です。生前葬を執り行うために長らく連絡をとっていなかった人に連絡をする。生前葬を行うために、もてなしの方法を皆で考える。このひとときが、これまでの人生の振り返りとなり、心の中に居座っている反省や後悔を見直し、生き直すきっかけになります。
「生前葬」に仲違いをしていた人を招くと、交流を再開させることもできるかもしれません。また、なかなか会うことのない親戚とも、誰も欠けることなく会うことができます。会って話しをすれば懐かしい思い出話があふれ出し、「これからはちょくちょく来るよ。これからもよろしく」という繋がりが生まれるかも知れません。
「生前葬」は、主催した人と招待された人が、「今、生きており、互いに言葉を交わすことができる」ことを喜び合い、これまでの人生を互いに振り返り、これからの生き方を考え、より良く生きるための儀式です。悲しみの涙はなく、喜びと笑いが満ちあふれる。それが「生前葬」なのです。